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名前の由来 |
苗字はアニメ歌手「堀江美都子」さんから 名前は元々女子バレーの中田久美さんから 久美(くみ)をある理由でひさみに読み方を変えました |
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性別 |
LBGTQのQ?なのか、又はXジェンダー? |
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年齢 |
昭和39年生まれ 現在61歳 おばさんです・・・ |
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サイズ |
169cm 65kg 服サイズ 3LorLL 15号or17号 |
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現住所 |
群馬県 |
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趣味 |
ビデオ鑑賞、パソコン、ゲーム、モータースポーツ観戦、プラモデル |
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久美の歴史 |
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誕生〜 |
19XX年2月10日、3人男兄弟の末っ子として生まれる 母親は女の子が欲しかったらしい |
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保育園時代 |
この頃の写真を見ると、女の子の格好をしていた。髪の毛を縛ったり |
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小学生時代 |
4年生頃、男子にいじめられていた。 女っぽいとか男らしくないとかで。女の子にもいじめられてたかな。 おとなしい子でした。 よく、家でお店やさんごっこをしていた。 母親の着物の着付けのモデルにもなっていました。 小6のとき、ちょっと女性のHな雑誌をみて、あそこを股に挟んで「女の子!」って遊んでいた。 そしたら急にオシッコがしたくなり、トイレに行ったがでなかった。これがはじめての射精感。 だんだん気持ちよくなり、これがオナニーの始まり。 当時は情報もなくオナニーだということはわからなかった。 気持ちよかったのでちょくちょくやっていました。 スポーツは卓球2年間(小5〜小6) |
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中学生時代 |
この頃は、普通に女の子を好きになっていた。中2の時に好きになった人は社会人になって 同じ会社(職場は違う)にいることが判明。 スポーツは卓球3年間 |
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高校生時代 |
頭が悪く私立の男子校へ入学。小学校からやっていた卓球に打ち込む。 この頃同級生が、不良たちに絡まれたとき助けてくれ学校ではずっと一緒にいた。 楽しかったことを思い出します。 高3でアルバイトを始める。 和風レストランでしていた頃普通の体系だったけど、閉店後の 夕食であまり物を食べていたため、どんどん体重が増えていった。 |
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社会人時代 20代 |
20代 1982年、地元の会社に入社。 よく同期で遊びに行ってました。女性も一緒で。 女性を好きになり付き合いもしました。でも悲しい別れも体験。 その後も何人の女性の方と付き合いましたがなぜか、ときめきなど感じず違和感を感じ始めました。 原因はわからず・・・ その後、ゲーム(野球拳)の景品でパンティーを入手。はじめて女性の下着を手にした。 アダルト雑誌に下着姿の女性?をみたら、何と股間がもっこり。 何とついていたのだ。そのときなんだかドキドキ胸が熱くなったのを覚えています。 近くのゲームセンターに行っては、下着の景品があるゲームばかりしていました。 ある時本屋に行くとそこにある雑誌が目に入った。 その本は、「innerTV」思わず手にとりレジへ その後は 「innerTV」 「ぼくってKIREI」 「レスボス倶楽部」 「ニューハーフ倶楽部」など本を買う。 |
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ほかの雑誌にエリザベスの広告を見つけ、これだと思い東京までいった。 東京は、パソコンに興味をもっていたから秋葉原にはよくいっていた。 その頃エリザベスが神田にあるということでいったが、場所がよく分からないやっと探し当てたが、 神田店はなくなっていた(移転)。 その日は帰った。 その後、移転先新宿店の場所が雑誌に載っていたのでその場所へいった。 始めはドキドキし、周りの目が気になったけど、思い切って店に入った。 入った瞬間、なんだか天国のような(オーバーかな)とてもすばらしい光景。 その日はひもパンティーと人工乳房・専用のブラジャーとカタログ・雑誌クイーンを購入した。 家に帰るのがまちどうしかった。家に帰り、すぐ身につけた。 何度かお店に行って写真も撮りました。 |
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パソコン通信は、結構昔からやっていたが97年頃からインターネットを始め、 97年10月にTV’SFORUMJAPANを知り同じ趣味の人がいて写真や伝言板を みているうちにわたしもと思い、伝言版への投稿やチャットへの参加をした。 その後、1997年にホームページを開設。名前は由来に書いてある通りで当時チャットで 同じ名前の人がいたので読み方を変えた。会社に同じ読み方の女性がいた。 それからたくさんのお友達ができて充実していた。 当時はTGという言葉は知らず女装とういう言葉しかわからなかった。 だんだんと洋服も増えおき場所に苦労しました。 購入は、通販や近くのファションセンター・デパートなど。 女装していると楽しいし自分らしさが出ている気がしていました。 この頃からTGということを知り色々勉強しました。 セクシャルマイノリティ・ISなど、TGにもTS,TVなどがあること。 自分がどの分野に属するのか、でも一番は女性になりたいことは変わりません |
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社会人時代 30代 親兄弟への カミングアウト |
30歳半ばに、心臓の病気(心房細動)になりしばらく入院。 投薬により回復。 その後仕事の疲れや悩みなどで神経症、抑うつ&パニック障害にかかってしまいました。 半年間休職。なんとか仕事に復帰。この時期も女装はしていました。 2003年、また病気が再発。当時は職場異動があったりで仕事になれず、 上司ともうまくいかず色々ありました。 2003年再び会社を休職 2006年休職期限。 以前から将来の夢としてお店(女装サロン)を持ちたいと思っており、 計画や構想を考えていたりしていました。 色々将来や仕事など考えたすえ、お店をやっていこうと考えました。 それには会社を辞めなければなりません。両親にも話をしなければならず、 それには今後どうするのかを説明する必要があったのです。 それでカミングアウト。 今までの自分のこと、考え、思いを話しました。 親子の縁をきられることや家を出ることも考えて。 両親は、しょうがないような雰囲気でしぶしぶ理解?はしてくれましたが、 お店のことに関しては反対でした。やはり金銭的なこと。 母も、お金には苦労してきた人でしたのでそのことに関しては母の気持ちはわかります。 普通に接してくれるし「早く病気を治してね」といってくれています。感謝です。 2006年、会社を退職しました。 精神的な抑うつ症状は無くなりましたが、心臓の病気については不安もあり 休職の期限もあったので退職。 |
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40代 2006年 |
2006年6月にネットで女性と知り合いました 最初は、女性のお友達がほしくて出会いを求めていました。 しだいに、お友達というか彼女を愛しくおもい、ある時彼女が涙を流しました。 元彼のことで悲しい別れがあったそうです。 そのとき私は、男として彼女を守ってあげたいと思い始めたのです その時以来、私の中には葛藤がありました。 私は、本来どっちなんだろうと。男性なのか女性なのかわからなくなりました。 でも、すでに彼女を好きになっていました。 それから毎日が、彼女のことでいっぱいでした。 8月に告白しました。 彼女と一緒にいたいという気持ち。守りたいという気持ち。 毎日彼女と楽しいお話をしました。 それで10月に入り、彼女からの返事がきました。 お付き合い(彼女)という形は出来ないと。 彼女自身、これからの人生をなやんでいました。 それをきいて大変な時期に告白してしまって申し訳ないとおもいました。 でも彼女は真剣に私の事を考えてくれて答えを出してくれました。 現在の私は無職、経済的な土台もないし歳も離れている。 これも一つの原因かとも考えました。 人として好きだけど付き合うことはできないと。 彼女は、私に嫌な思いをさせて申し訳ないと涙を流してくれました。 私はうれしかった。ちゃんと彼女の思いを理解しました。 今後は、お友達として付き合っていくことになりました。 それに関しては、感謝しています。 その後彼女にTGだということを伝えました。 彼女は理解してくれました。 2006年12月 心臓の病気(心房細動)が再発 今回も薬の投与で正常に戻りましたが、今後また再発したら ペースメーカーなどを考えたほうが良いと言われました。 2日で退院。 |
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2008年 失恋 |
彼女にに彼氏ができました。 そして数か月後、結婚しました。 この2年間、私にとって充実した日々でした。 私という存在はなんだったのか。 彼女と出逢う前の状態にもどりました。 でも、2年間で色んな体験をし、人への思いやり、人を好きになり愛すること 自分の中のダメな部分、良い部分など。 私と出逢う前に辛かったことが色々あり、辛い時期があった分 彼女には幸せになってもらいたい気持ちです。 本当は私自身が幸せにしてあげたかったけど。 今回の恋愛で、私自身、男性であるのか女性であるのか色々考えました。 答えはやはりでません。 今でも彼女のことは毎日忘れたことはありません。 忘れられない・・・。 でもしかたがないこと、恋愛は1人じゃできないし、お互いを必要としなければいけない。 今までもっていた女性の心、女性を好きになり愛したこと。 本来の自分はどちらなのか。 でも彼女と出会えたことは人生の中で一番の大きな出来事でした。 彼女に支えられ、癒され、励まされてきました。 彼女に感謝しています。 |
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2010年 |
親兄弟にはカミングアウト済なんですが 年末年始は兄弟からあまり連絡がこず家にくることもなく。 そのとき母親が漏らした言葉 「母親なんてさびしいもんだね、息子たちはお嫁さんが一番だし」 「○○(私)が女の子だったらよかったのに」 私はドキッとしました。 たぶん母親は私のTGのことは頭になく、さびしさからふと言葉にしたことだと思います。 失恋が原因かわかりませんが体重も12kg痩せました。 病気もして入院したりもしました。 |
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2013年 |
近くに女装さんが入れる本屋さんがあることがわかり行ってみました。 女装用品も少しありました。 ここでお友達もでき、お店にもプリクラが導入され頻繁に行っていました。 |
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初めて撮ったプリクラ2013年![]() |
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2017年 |
心臓の病気(心房細動)の症状はしばらく出ていませんでしたが 違う病気(期外収縮)を発症してしまいました。 病院へは2006年からずっと月一で通院していました。 薬で何とか症状を抑えています。 |
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2018年 |
病気も落ち着いてきたので仕事をすることにしました。 パート(清掃業)を始めました。 |
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2019年 |
母が他界しました。 いつも優しい母でした。 父の遊びぐせで、ずいぶんとお金では苦労したそうです。 3人の子供が学生の時には、 母は内職して家計を助け、子供3人を育ててくれました。 夜遅くまで仕事をしていた頃を思い出します。 感謝しています。 |
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2025年 |
92歳の父のガンが2022年に発覚して経過観察をしていました。 今年になり少し身体が弱くなり、 私の職場が車で30分以上もかかり 何かあった時困ること。 職場のシフトが、拘束時間13時間(7:00〜20:00)が 連日続いたり、休みがなかったり。 職場のシフト作成を任されており、パートさんが私よりほぼ年上で 休みの希望や、突然の休みなどで代わりに私が出勤したり・・・ 大変でした。 会社に退職の希望を出したのですが、人がいなくなかなか辞めさせてもらえなく 退職希望を出してから3か月後位に新人が数人入ってきて、仕事を教えて そこから2か月後退職できることになりました。 勤務時間が多くそれだけお給料も良かったのですが 体力的、精神的に疲れていました。 今年2月に退職。 しばらく、身体を休めてから家の近くで仕事を探し 6月に仕事が見つかり内定をもらっていた時、 父の容態が急に悪くなり、ほぼ寝たきりになってしまったので 介護の為、会社に連絡して採用をお断りしました。 3週間後、父が他界しました。 今家には私一人です。 |
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つづく・・・ 随時追加や訂正をするかもしれません |
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